Dictator 独裁者 (連載第501回)

 ウクライナ侵略戦争を唐突に始めたプーチン露大統領の思考判断力は正常なのかと疑う声が強まっている。民主主義国に住む我々から見ると、相互依存(interdependence)と国際協調が進んだ今日の世界で隣国に軍事侵攻、大規模な破壊殺戮を繰り返しながら自国民には嘘をつき続ける彼の政権の姿は極めて異常だ。事実上の独裁体制(dictatorship)を敷く権力者の暴走を誰も止められず、戦争に反対して国を去る政府関係者もいる。

 側近や外国の賓客を長いテーブルの反対側に座らせるプーチン大統領の姿も異様だ。感染防止のためだろうが、昔の王侯貴族のように自身の権威を印象付ける意図もあるのだろう。察するに、かつてKGB工作員として祖国ソ連の崩壊を目の当たりにした彼は、欧米への敵意やコンプレックスを心の奥底に秘めてきたのではないか。コロナ禍中、執務室に閉じ籠って人との接触が少なかった彼の考えが徐々に偏った可能性を指摘する向きもある。

 どれほど優秀な指導者も長く政権の座にあると、驕慢に老化が重なって正常な判断ができにくくなる。政権に残るのはイエスマンばかりで、ご本尊は裸の王様と化す。民主主義国でトップの多選を禁じているのはその点で理に適っている。露国にも大統領多選禁止規定はあったが、プーチン大統領が自ら変えたルールでは最長2036年まで現職に留まれるらしい。

 人への憐憫の情の欠片も持たず独善的な考えしかできない人間は案外身近にいる。問題はそういう輩が権力を掌握して暴君(tyrant)と化すことだ。かつて世界を戦争の惨禍に引きずり込んだヒトラーも、第一次世界大戦中はドイツ陸軍の伍長に過ぎなかった。後年、弁舌の才に目覚めた彼は極右政党ナチスを牛耳るや虚言を弄してドイツ国民を籠絡、民主主義的な選挙で政権を獲得するに至った。

 そのヒトラーを風刺した映画『独裁者』(The Great Dictator)の主演・監督を務めたチャップリンはその有名なラストシーンの演説でこう訴えた。By the promise of these things, brutes have risen to power. But they lie! They do not fulfil that promise. They never will! Dictators free themselves but they enslave the people! (獣どもはそう約束して権力の座に就いた。だが彼らは嘘をついている。約束を果たさない。果たすつもりもない。独裁者は自らを解放するが国民を奴隷にする)。今こそこの言葉を肝に銘じたい。

(『財界』2022年5月25日号掲載)


※掲載日:2022年5月25日
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